東京地方裁判所 平成元年(ワ)11020号 判決 1991年8月27日
原告
鈴木昭司
右訴訟代理人弁護士
吉田幸一郎
被告
河西嘉一
右訴訟代理人弁護士
石井正行
同
松崎勝一
同
竹谷智行
被告
練馬区
右代表者区長
岩波三郎
右指定代理人
山口憲行
外四名
主文
一 被告河西嘉一は、原告に対し、金一五〇万円及びこれに対する平成元年九月二日から支払済みまで年五分の割合による金員を支払え。
二 原告の被告河西嘉一に対するその余の請求及び被告練馬区に対する請求をいずれも棄却する。
三 訴訟費用は、原告に生じた費用の二〇分の一と被告河西嘉一に生じた費用を被告河西嘉一の負担とし、原告に生じたその余の費用と被告練馬区に生じた費用を原告の負担とする。
事実
第一 当事者の求めた裁判
一 請求の趣旨
1 被告らは、原告に対し、各自金三四二〇万円及びこれに対する被告河西嘉一は平成元年九月二日から、被告練馬区は同月一日からそれぞれ支払済みまで年五分の割合による金員を支払え。
2 訴訟費用は、被告らの連帯負担とする。
3 仮執行宣言
二 請求の趣旨に対する答弁(被告ら共通)
1 原告の請求を棄却する。
2 訴訟費用は、原告の負担とする。
第二 当事者の主張
一 請求原因
1 原告は、昭和四一年一〇月四日ころ、別紙物件目録(一)記載の土地(以下「原告土地」という。)及びその地上の同目録(二)記載の建物(以下「原告建物」という。)を買い受け、以後これに居住している(ただし、原告建物は、昭和四九年一二月ころいったん増築し、その後、一部取り壊して現在に至っている。)。
2 被告河西嘉一(以下「被告河西」という。)は、昭和四二年五月一六日ころ、原告土地に隣接する別紙物件目録(三)記載の土地(以下「被告河西土地」という。)及びその地上の同目録(四)記載の建物(以下「被告河西旧建物」という。)を買い受け、これに居住してきたが、平成元年四月(以下、特に断らない場合は、平成元年における月をいう。)ころ、被告河西旧建物を取り壊し、五月ころから、被告河西土地上において建物新築工事に着手し、七月二七日ころ、木造二階建住宅(一部地下・鉄筋コンクリート造り。)(以下「本件建物」という。)を完成させた。
3 本件建物の違法性・被告河西の責任
原告は、被告河西が建築基準法(以下「法」という。)に違反する本件建物の建築を強行しこれを完成させたことによって、受忍限度を超える被害を被った。
(一) 原告建物は南向きであり、従前は夏は南面からの通風によって室内換気がよく、冬は日照が良好で晴天の日は温かく暖房もほとんど必要がなかったが、本件建物建築後、原告建物はその日陰となって通風、日照・採光が著しく不良となり、特に冬至においては日照不良が顕著となった。本件建物の冬至における日影は、別紙図面(一)のとおりである。その結果、原告建物内では、冬には日中でも点灯、暖房が必要となり、通風が不十分になったことも加わり、室内の湿気が増した。また、原告建物の南面の庭を物干場として利用していたが、洗濯物の乾きが著しく悪化した。
(二)(1) 被告河西土地は、第一種住居専用地域に指定され、法五二条、五三条及び関係法規により建ぺい率三〇パーセント、容積率六〇パーセントの制限があり、その地上に建築可能な建物は建築面積約10.053坪、延べ面積約20.106坪のものであったところ、本件建物は、延べ面積約三四坪、容積率は約一〇一パーセントであり、延べ面積は約一四坪、容積率は約四一パーセント超過している。
(2) また、被告河西土地は、都市計画法五八条一項及び東京都風致地区条例五条一項五号ロによって、第二種風致地区に指定され、その地上建築物の外壁から隣地境界線までの距離が1.5メートル以上であることが必要であるが、本件建物はこれを満たしていない。
(3) さらに、被告河西土地は、第一種住居専用地域における北側斜線制限(法五六条一項三号。建築物の高さは、当該建築物部分から隣地境界線までの真北方向の水平距離に1.25を乗じたものに五メートルを加えた数値以下であることを要する。)があり、かつ、高度地区に関する都市計画により第一種高度地区に指定されて、右北側斜線に重複してより厳しい規制の下にある(法五八条)ところ、総二階建てである本件建物の高さは、法五六条一項三号の北側斜線制限に僅かに抵触し、法五八条による北側斜線制限には相当抵触している。
(三)(1) 被告河西は、被告練馬区から平成元年三月四日第二七七二号建築確認を受けたが、右建築確認を受けた建物は、地上二階建て、延べ面積66.26平方メートルとされており、これと異なる本件建物を建築したことは、建築物の建築等に関する確認の申請義務と右確認を受けない建築物の建築不許を定める法六条一項、五項に違反する。
(2) 原告は、被告河西に対し、右着工後再三にわたり、法、特に北側斜線制限を遵守するよう求めたが、被告河西はこれに応じなかった上、六月一四日、法九条一〇項に基づき被告練馬区の区長(以下「練馬区長」という。)から文書による建築物の工事停止命令が発せられたにもかかわらず、被告練馬区の担当者と打合せをし、その了解を得て着工したものであるとして、右命令を無視して工事を強行した。そこで、原告は、六月二六日、当庁に右工事の続行禁止の仮処分を求め(平成元年(ヨ)第三五二三号建築工事続行禁止仮処分申請事件)、被告河西は、担当裁判官に対して工事を中止する旨口頭で約束したが、「本件建物の建築は、被告練馬区の指導の結果である。」、「いまさら中止できない。」などと言明し、本件建物を完成させた。そのため、原告の右仮処分申請は七月三一日却下された。
(四) 原告が被った被害内容は、前記(一)のとおりであって、かつ右被害は、右(二)(三)のとおり、被告河西が法に違反する本件建物の建築を強行しこれを完成させたことによってもたらされたものである。したがって、本件建物建築は、原告に対し受忍限度を超える被害を与えたものとして原告に対する不法行為を構成し、被告河西はこれに起因する損害を賠償する責任がある。
4 被告練馬区の責任
法は、違反建築に対しては、特定行政庁において工事停止や違反建築物の除却等違反是正のために必要な措置をとることを命ずることができるとしているところ(法九条)、原告が練馬区長に対し、被告河西が被告河西土地上に建物新築工事(以下「本件工事」という。)を始めたころの五月一日、その屋根が大きく、原告建物の日当たりが悪くなるため、屋根を低くしてもらいたい旨陳情し、被告練馬区は、これを契機として本件工事の内容が前記3(三)(1)の建築確認の内容と異なり、建ぺい率・容積率、北側斜線等の制限にも違反するものであることを知り、かつ、原告が、その後の練馬区長に対し、本件工事の規制違反部分を除却するよう陳情していたのであるから、早期に工事停止命令を発し、被告河西がこれに従わなかったときは、違反部分の除却を命ずる義務があった。しかるに、被告練馬区の担当職員である野島幸雄、同山下満及び同地の塩隆久は、被告河西が本件工事を行うことを了解し、被告河西に右違反部分を除却させず、練馬区長においても、本件建物完成間近の六月一四日、形式的に被告河西に工事停止命令を発したのみで、その不遵守に対して違反部分の除却を命ずることを怠った。
仮に被告練馬区の後記二2の主張のように違反部分の是正等について行政指導をしたとしても、それらは被告河西との通謀による表面上のものに過ぎず、実際は被告河西に本件工事を強行させた。したがって、右職員ら及び練馬区長の右各行為は、被告河西の本件工事と関連共同性のある不法行為にあたり、右職員ら及び練馬区長が属する被告練馬区は、民法七一九条、国家賠償法一条二項に基づき、被告河西と連帯して原告の損害を賠償する責任がある。
5 損害
(一) 交換価値の低下
本件建物建築前の平成元年五月ころの原告土地は、日照・採光、通風の良好な住宅地として一坪あたり二〇〇万円を越え、総額六四〇〇万円以上の交換価値を有していたが、前記3(一)のような環境悪化のため、八月には三〇パーセント低下し、一坪一四〇万円、総額四四八〇万円となった。よって、その差額一九二〇万円が本件建物建築によって原告が被った損害である。
(二) 慰謝料
原告(及びその家族)は、本件建物建築によって、周辺住宅に比して著しく悪化した生活環境のもとで不快な生活を強いられ、健康を害される危険も存している。これらによって原告の受けた精神的損害は甚大であって、これを金銭に評価すれば、一五〇〇万円を下らない。
以上、(一)、(二)により、原告の損害額は、三四二〇万円である。
6 よって、原告は、被告河西に対しては民法七〇九条に基づき、被告練馬区に対しては国家賠償法一条に基づく損害賠償請求として、各自三四二〇万円及びこれに対する被告河西については同被告に対する訴状送達の日の翌日である平成元年九月二日から、被告練馬区については同被告に対する訴状送達の日の翌日である同月一日から支払済みまで民法所定の年五分の割合による遅延損害金の支払いを求める。
二 請求原因に対する認否・反論
1 被告河西
(一) 請求原因1の事実は知らない。
(二) 同2の事実は認める。
(三) 同3のうち、被告河西の本件建物建築によって、原告が受忍限度を超える被害を被ったとの主張は争う。また、同3(一)のうち、本件建物建築後、通風、日照・採光が著しく不良となり、特に冬至においては日照不良が顕著であること、その結果、原告建物内では、冬には日中でも点灯、暖房が必要となり、通風が不十分になったことも加わって室内の湿気が増したこと、及び原告建物の南面の庭を物干場として利用していたが、洗濯物の乾きが著しく悪化したことは、いずれも否認する。
従前、原告建物は、夏は南面からの通風によって室内換気がよく、冬は日照が良好で晴天の日は温かくほとんど暖房の必要がなかったこと及び本件建物の冬至のおける日影が別紙図面(一)のとおりであることはいずれも知らない。
(四) 同3(二)(1)のうち、被告河西土地が第一種住居専用地域に指定されていること及び被告河西が建築確認を受けた時点においては、被告河西土地は建ぺい率三〇パーセント、容積率六〇パーセントの制限があり、その地上に建築可能な建物は建築面積約10.053坪、延べ面積約20.106坪のものであったことはいずれも認める(ただし、後記のとおり、その後建ぺい率・容積率の改正があった。)が、その余の事実は否認する。
同3(二)(2)、(3)の事実はいずれも認める(ただし、より厳しい規制である法五八条による北側斜線があり、本件建物がこれに相当抵触しているとの点を除く。)。
(五) 同3(三)(1)のうち、被告河西が、被告練馬区から平成元年三月四日第二七七二号建築確認を受けたこと、右建築確認を受けた建物は、地上二階建延べ面積66.26平方メートルとされていたことはいずれも認める。
同3(三)(2)のうち、法九条一〇項に基づき練馬区長から文書による建築物の工事停止命令が発せられたこと、原告が、六月二六日、当庁に右工事の続行禁止の仮処分を求めたこと(平成元年(ヨ)第三五二三号建築工事続行禁止仮処分申請事件)及び右仮処分申請は七月三一日却下されたことはいずれも認め、その余の事実はいずれも否認する。
同3(四)の主張は争う。被告河西土地の建ぺい率・容積率について、四月ころ改正されるとの情報があり、本件建物建築に際しては被告河西が依頼した建築業者が練馬区担当者と打合せをし、その指導に従って当初の建築計画の設計変更をするなどして本件建物の完成に至っている。そして、右改正は当初の予定より遅れて一〇月一一日、告示施行され、建ぺい率五〇パーセント、容積率一〇〇パーセントとなったが、被告河西は、昭和六三年一一月三〇日、隣地所有者保科さやかから四平方メートルの借地をして本件建物の敷地面積は114.78平方メートルとなっており、本件建物は右改正後の法規制には適合している。また、本件建物の屋根を北側斜線に適合する形状にした場合の建物による日影の状況は、別紙図面(二)のとおりであり、本件建物による影響とは若干の差異しかない。
そして、原告建物も建築上の規制に適合していない。
これらの点に現在の一般的住宅事情を併せ考えれば、本件建物建築によって若干原告建物の日照・採光、通風に障害が生じ、生活環境の悪化が認められるとしても、それらはいずれも隣地居住者として当然に受忍すべき限度内のものであり、不法行為を構成すべき権利侵害には当たらない。
(六) 同5はいずれも否認し争う。仮に原告土地の価格の下落があったとしても、右下落と本件建物建築との間に因果関係はない。
2 被告練馬区
(一) 請求原因1の事実は知らない。
(二) 同2のうち、被告河西が、五月ころから、被告河西土地上において建物新築工事に着手し、七月二七日ころ本件建物を完成させたこと及び本件建物が木造二階建住宅(一部地下・鉄筋コンクリート造り)であることはいずれも認める。その余はいずれも知らない。
(三) 同3(一)のうち、本件建物による冬至における日影が別紙図面(一)のとおりであることは認め、その余はいずれも知らない。
同3(二)(1)の事実はいずれも認める。ただし、本件建物の延べ面積(建築基準法施行令二条一項四号ただし書により、自動車車庫部分の面積を控除した容積率算定の基礎となるものを指す。)は、約35.21坪(約116.42平方メートル)、容積率105.09パーセントであり、法上の制限の超過の程度は、延べ面積約15.11坪、容積率約45.09パーセントである。
また、一〇月一一日、都市計画変更が告示され、地域地区が改正された結果、被告河西土地の規制は建ぺい率五〇パーセント、容積率一〇〇パーセントに緩和され、本件建物の違反の程度は、建ぺい率1.53パーセント、容積率5.09パーセントとなり大幅に減少した。
同3(二)(2)、(3)の事実はいずれも認める。
(四) 同3(三)(1)はいずれも認める。
同3(三)(2)のうち、法九条一〇項に基づき練馬区長から文書による建築物の工事停止命令が発せられたこと、被告河西が右命令を無視して工事を強行したことはいずれも認め、その余の事実はいずれも知らない。
(五) 同4のうち、法が、違反建築に対しては、特定行政庁において、工事停止や違反建築物の除却等違反是正のために必要な措置をとることを命ずることができるとしていること(法九条)、原告が、練馬区長に対し、被告河西が被告河西土地上に建物新築工事(以下「本件工事」という。)を始めたころの五月一日、その屋根が大きく、原告建物の日当たりが悪くなるため、屋根を低くしてもらいたい旨陳情したこと、本件工事の内容が前記2(三)(1)の建築確認の内容と異なり、建ぺい率・容積率、北側斜線等の制限にも違反するものであったこと、原告が、その後も、練馬区長に対し、本件工事の規制違反部分を除却するよう陳情したこと及び練馬区長が、六月一四日(ただし、本件建物完成間近であるの点を除く。)被告河西に工事停止命令を発したことはいずれも認め、その余はいずれも否認し又は争う。
原告の陳情があった後の五月六日、本件工事の施行者である訴外明邦興産株式会社の担当者会田俊徳(以下「会田」という。)から提出された本件工事の計画図面から、本件工事の内容が建築確認の内容と異なっていることが判明し、被告練馬区の担当職員は、会田に対して建築計画を変更するよう行政指導するとともに屋根の高さ・形状について原告とも話し合うよう助言したところ、会田は、違反解消のために努力する旨約した。同月九日に会田は計画変更図面を提出したが、なお北側斜線、建ぺい率・容積率の違反があったため、担当職員は、再度計画変更を指導した。しかし、違反状態が残ったまま工事が続行されたため、同月二二日、担当職員が計画変更と工事停止を指導したところ、同月二九日、会田は、隣地約三平方メートルを借地して敷地を拡大すること、違反部分を是正すること及び地域地区改正まで工事を中止することを約した。さらに、担当職員は、六月六日、会田に同行した被告河西に対し、違反の内容、経緯を説明し、是正すべき部分と地域改正まで工事を中止すべきことを指示した。しかるに、被告河西はその後も工事を続行し、担当職員は繰り返し工事を中止するよう行政指導したが、被告河西はやはりこれに従わなかったことから、行政指導による工事中止は困難であると考え、練馬区長において工事停止命令を出したものである。しかしながら、被告河西らはなおも工事を続行したため、七月上旬、違反是正と工事停止を指導をしていた際に、本件訴えが提起されたものである。したがって、被告練馬区の担当職員は被告河西らに対し、右のとおり行政指導を継続的に行い、被告河西らはその都度違反の是正を約束していたのであるから、右行政指導の経緯・内容において何ら違法な点はない。
また、被告河西又は第三者に違反部分の除却をさせず、また練馬区長みずから除却しなかった点についても、その行政対応に違法な点はない。すなわち、特定行政庁が、違反建築物について、建築主等に対し、是正措置を命ずる権限(以下「是正命令権限」という。)(法九条一項)及びこれに従わない場合に行政代執行法の定めに従い、みずから義務者等のなすべき行為をし、又は第三者をしてこれをさせる権限(以下「代執行権限」という。)(同条一二項)を行使するか否か、また、いかなる時期にこれを行使するかについては、当該建築物の違反内容・程度、環境破壊の程度、付近住民の被害の程度、建築主等による自発的な違反状態の解消の努力の有無、是正措置等により受ける建築主側の経済的損失の程度、その他諸般の事情を総合的に考慮しつつ、その合理的な裁量において決すべきものであり、是正命令権限の不行使が付近住民との関係で違法となるのは、右不行使が著しい裁量権の濫用にわたる場合に限られる。本件においては、本件建物は北側斜線を僅かに違反する程度であって悪質とはいえないこと、日影規制には適合していること、本件建物による日照被害の程度は僅かであること、前記のとおり、被告練馬区の担当職員は、被告河西及び明邦興産株式会社に対し、行政指導を繰り返し、法違反状態の解消に努力していたこと、被告河西が自主的な是正を約束していたこと等の事情があったことから、工事停止命令を出したにとどめていたものであり、是正命令権限・代執行権限の不行使には、裁量権の濫用に当たる違法性はない。
(六) 同5はいずれも否認し又は争う。
第三 証拠<省略>
理由
一1 本件建物建築の影響
請求原因2のうち、被告河西が、五月ころから、被告河西土地上において建物新築工事に着手し、木造二階建(一部地下・鉄筋コンクリート造り)住宅である本件建物を完成させたことは、各当事者間に争いがない。また、被告河西が、昭和四二年五月一六日ころ、被告河西土地及び被告河西旧建物を買い受け、これに居住してきたこと、及び被告河西が、平成元年四月ころ、被告河西旧建物を取り壊したことは、いずれも原告と被告河西間において争いがなく、右各事実は、<書証番号略>及び被告河西本人尋問の結果によって原告と被告練馬区間においても認められる。
右の事実に、<書証番号略>、原告本人尋問の結果、被告河西本人尋問の結果並びに弁論の全趣旨を総合すれば、次の各事実を認めることができる。
(一) 原告土地と被告河西土地は、原告土地の南東部分において隣接している。
(二) 本件建物は、延べ面積が約134.60平方メートル(約40.71坪)、建築面積が約57.09平方メートル(約17.26坪)であるが、容積率算定の基礎となる延べ面積は、車庫部分を除いて約116.42平方メートル(約35.21坪)である。
(三) 原告建物一階の南端に位置する六畳間(以下「茶の間」という。)は、原告土地の約三軒四方の広さの南東角の庭(以下「原告庭」という。)に面して開口部(掃き出し窓)があり、他方、被告河西旧建物は二階が六畳一間であって(二階面積約12.34平方メートル)、本件建物建築以前においては、茶の間においても、午後になって原告土地の南西側にある神社の森に遮られるまで日照が得られていた。しかし、本件建物は総二階であって、原告土地との境界側の外壁部分は、右境界線に至る真北方向の距離が約六五センチメートル、軒高が約6.32ないし7.09メートルあり、本件建物建築後は、冬至においては、午前八時ころにはほぼ原告建物一階部分全体が本件建物の日影となり、茶の間は午前一一時を過ぎ、午後零時ころに至るまで本件建物の日影下にある。このため、従来午前中は得られていた茶の間の日照は殆ど得られなくなり、日中から点灯及び冬季の暖房が必要となった。なお、二階は、午前一〇時ころには日照が得られ、本件建物による影響は特になく、原告建物の西南には二階建ての建物が隣接しているが、右建物は西日に対して影を生むにとどまり、生活上も支障はない。
また、原告庭は、従前から物干場として利用していたが、午後零時の時点ではその南側三分の二以上が、午後一時の時点でも三分の一程度が本件建物の日影に入って日照が不良となり、洗濯物の乾きが悪化した。
さらに、原告土地の東南側からの通風が阻害されるようになった。
2 本件土地付近の地域性及び建築制限
(一) <書証番号略>によれば、被告河西土地、原告土地の周辺は第一種住居専用地域、第一種高度地区であって、両土地の北側道路沿いには半地下形式でない通常の二階建て家屋が並び、本件建物の南側の隣接家屋も概ね二階部分が一階部分より小さくなっていることが認められる。
(二) 被告河西土地が第一種住居専用地域に指定され、法五二条、五三条及び関係法規により建ぺい率三〇パーセント、容積率六〇パーセントの制限があり、その地上に建築可能な建物は建築面積約10.053坪、延べ面積約20.106坪のものであったこと及び請求原因3(二)(2)(建物外壁から隣地境界線までの距離の不足)はいずれも各当事者間に争いがない。また、法五六条一項三号による北側斜線制限とその抵触については各当事者間に争いがなく、高度地区に関する都市計画により第一種高度地区に指定されて右北側斜線に重複してより厳しい規制の下にあり(法五八条)、これに相当程度抵触していることは、<書証番号略>によってこれを認めることができる(法五八条による規制と違反については、原告と被告練馬区間においては争いがない。)。そして、前示1のとおり、本件建物は、建築面積が約17.26坪、延べ面積が約35.21坪、容積率が約105.09パーセント程度であるから、建築面積が約七坪、延べ面積が約一五坪、容積率が約四五パーセント各法規制を超過している。
もっとも、<書証番号略>によれば、右の建ぺい率、容積率は、平成元年一〇月一一日に五〇パーセント、一〇〇パーセントに各改められたことが認められるが、右改正によっても、建ぺい率、容積率とも法規制に違反していることは明らかである(なお、被告は、隣接土地の一部を借地した旨の契約書(<書証番号略>)を作成しているが、右借地が本件建物の敷地として使用されたと認めるに足りる証拠はない。)。
3 本件建物建築の経緯
被告河西は、被告練馬区から、地上二階建延べ面積66.26平方メートルの建物についての建築確認を得たことは各当事者間に争いがない(本件建物について建築確認を受けたと認めるべき証拠は存せず、また、本件建物が右建築確認の内容と異なっていることは明らかであるから、本件建物建築は法六条一項、五項に違反するものと認められる。)。また、六月一四日、法九条一〇項に基づき被告練馬区区長から文書による建築物の工事停止命令が発せられたこと、原告が、六月二六日、当庁に右工事の続行禁止の仮処分を求めた(平成元年(ヨ)第三五二三号建築工事続行禁止仮処分申請事件)こと及び原告の右仮処分申請が七月三一日却下されたことはいずれも各当事者間に争いがない。
右各事実に<書証番号略>、原告本人尋問の結果、被告河西本人尋問の結果並びに弁論の全趣旨を総合すれば、次の各事実が認められる。
(一) 原告は、四月下旬ころ、被告河西及び会田から図面を見せられて本件工事の内容を知り、被告河西に対して二階部分の縮小又は屋根を北側斜線を配慮した形に変更することを要望し、五月一日には、被告練馬区長に対し、被告河西が建築を計画している建物の屋根が大きく、原告建物の日当たりが悪くなるため屋根を低くしてもらいたい旨陳情した(右陳情の点は、原告と被告練馬区間においては争いがない。)。
同月六日ころ、会田が被告練馬区の求めに応じて提出した本件工事の計画図面から、その工事内容が建築確認の内容と異なり、建ぺい率・容積率、北側斜線等の制限について違反があることが判明し(右判明の事実は原告と被告練馬区間において争いがない。)、被告練馬区の担当職員は、同日以後継続的に、会田に対して建築計画の変更、違反部分の是正、工事中止等の行政指導を行った。
右指導に対し、会田は、五月九日ころ、工事計画の変更案(以下「変更案その1」という。)を被告練馬区に提出したが、なお北側斜線、建ぺい率・容積率等の違反部分が残っており、その後、再度工事計画を変更した案(以下「変更案その2」という。)を提出した。
(二) 被告練馬区担当職員は、その後も工事続行されていたため、六月六日、被告河西及び会田を呼び出して違反内容(北側斜線違反の点を含む。)等を説明し、その是正と一〇月の地域地区改正までの本件工事の中止を指示し、さらに六月一四日、練馬区長名で工事停止命令を出し、六月二〇日ころ再度被告河西を呼び出して右命令を発した旨伝え、工事の中止を指示した。しかるに、被告河西側はなおこれに応じず、担当職員は被告河西及び会田に対し、七月三日ころ以降も違反是正と工事停止を求めてその指導をしていた。
(三) 原告は、五月二四日ころにも、原告の本件訴訟代理人に依頼して、被告河西に対して違反部分の是正を求め、練馬区長に対して是正の陳情を行ったが(右陳情の事実は原告と被告練馬区間において争いがない。)、違反の是正、工事中止等がされなかったため、六月二六日、本件工事停止の仮処分申請をするに至った。被告河西は、右手続の担当裁判官から本件工事を暫定的にでも停止してはどうかとの示唆を受け、本件工事は、七月六日ころ一時的に中断されたが、結局、続行された。
(四) 被告河西は、本件工事の違反部分の処理、被告練馬区との折衝等は会田に一任していた。そして、右(二)のとおり、被告河西みずから担当職員から違反内容等の説明を受け、工事停止命令が出されたことを聞き、違反部分の是正や工事中止等の指示を受けた後も、会田に対して右是正や中止等の依頼・願い出等を一応はしたものの明確な指示はせず、実際上は工事続行を図る会田の措置に任せていた。
(五) なお、本件建物は、変更案その2ではなく、北側斜線についても違反部分が残っていた変更案その1に従って建築された。
二被告河西の責任
一の認定事実に基づき、被告河西の不法行為責任の成否について検討する。
1 建物の建築が隣地土地上の建物の日照、採光、通風を妨げたからといって、そのことにより、直ちに不法行為が成立するものではないが、右建物の建築が権利の行使、態様、その結果において、社会観念上妥当性を欠き、これによって生じた損害が、社会生活上一般的に被害者において受忍する限度を越えたと認められるときは、右建築行為は、違法性を帯び、不法行為責任を生じるものというべきである。
本件において、被告河西のした本件建物建築行為は、建築主事による建築確認を経た建物とは異なるものであるばかりでなく、建ぺい率、容積率、北側斜線の制限において、いずれも建築基準法に違反している(右違反は、その後の建ぺい率、容積率の改正によっても、なお、残存している。)のみならず、練馬区長から工事停止命令が出されたにもかかわらず、これを無視して強行し、その結果、少なくとも、被告河西の過失により、原告の居宅の日照、採光、通風を妨害するに至ったものであり、しかも、本件土地付近は、第一種住居専用地域、第一種高度地区たる住宅地であって、右のごとき違反行為を受忍すべき地域ではなく、他方、原告としては、被告河西の建物建築が、建築基準法の基準内であり、かつ、建築主事の確認手続を経由することにより、一定範囲の日照、通風を期待することができ、その範囲の日照、通風が原告に保証される結果になるのにかかわらず、被告河西のした本件建物建築により、住宅地域にありながら、日照、通風を大幅に奪われ、不快な生活を余儀なくされたのである。
したがって、被告河西の本件建物の建築は、社会観念上妥当な権利の行使の範囲を超え、原告の受忍限度を超えたもので、違法であって、被告河西に右建築につき、少なくとも過失があったことは明らかであるから、被告河西は、右不法行為により原告が被った損害を賠償すべき責任がある。
2 損害について判断する。
原告は、日照等の障害による生活環境の悪化により原告土地の交換価値が低下した旨主張し、原告本人尋問の結果中には右主張に沿う部分があるが、右の悪化により宅地としての適応性・価値が低下するという事態は一応観念できるものの、右尋問結果のみでは原告土地について交換価値が低下したこと及びその具体的数額を認めるに十分ではなく、他にこれを認めるに足りる証拠は存しない。
しかし、先に認定したとおり、原告は、被告河西が本件建物を建築したことにより日照、採光、通風の障害を受けており、精神的苦痛を被ったものと認められるところ、前示一の各事情その他の一切を総合勘案すれば、右苦痛に対する慰謝料の額としては、一五〇万円をもって相当と認める。
三被告練馬区の責任
1 前示一3のとおり、被告練馬区の担当職員らは、会田のほか被告河西本人に対しても、本件工事の違反部分の是正、工事中止等の行政指導を継続して行ってきたものである。そして、担当職員において、被告河西が本件工事を行うことを了解していたこと、被告河西と通謀の上、表面的に行政指導をしたに過ぎないこと又は工事停止命令は形式的なものに過ぎないとの原告の主張については、<書証番号略>及び原告本人尋問の結果中にはこれに沿うがごとき部分が存するが、前記一3の経緯に照らし、直ちには採用し難く、他に右事実を認めるに足りる証拠はない。
また、本件全証拠によっても、工事停止命令に至るまでの担当職員らの各措置が、時期を逸し又は不適切なものであったとは認められない。
さらに、工事停止命令を除き他の是正措置が採られなかったことについては、行政庁の右規制権限の行使は本来当該行政庁の合理的な裁量に委ねられているものである上、右権限は本来的には公共の福祉のためのものであって、特定の個々人の利益のためのものではないことに鑑みると、本件において被告練馬区に是正命令権限・代執行権限を行使することが原告に対する関係で義務付けられ、その不行使が違法となるためには、その違反の程度が著しく、これによって住民に継続的に重大な生活利益の侵害が生じ、違反者がみずから違反状態を解消する見込みが全くない上、特定行政庁の権限行使が容易かつ有効適切で、他に適切な救済手段がないような場合であるなどの例外的な場合に限定されると解されるところ、本件における日照等の障害の危険は将来的なものであり、その被害程度も前示一1の程度である上、担当職員らにおいて違反部分の是正・工事停止等行政指導を継続的に行っており、工事停止はされなかったものの、被告河西側の対応案も示されており、被告河西側の自主的な解決・処理等の合理的な期待が失われていたとは認められないから、是正命令権限・代執行権限の行使が義務づけられるに至っていたとすることはできず、右不行使をもって違法と解することはできない。
したがって、担当職員ら及び区長の各措置・対応に違法な点があることを理由とする原告の被告練馬区に対する請求はすべて理由がない。
四以上の次第で、原告の被告河西に対する請求は、一五〇万円及びこれに対する同被告に対する訴状送達の日の翌日であることが本訴記録上明らかな平成元年九月二日から支払済みまで民法所定の年五分の割合による遅延損害金の支払いを求める限度で理由があるからこれを認容し、その余の請求及び被告練馬区に対する請求はいずれも理由がないからこれを棄却し、訴訟費用の負担につき、民事訴訟法八九条、九二条、九三条を、なお、仮執行の宣言は相当でないからこれを付さないこととして、主文のとおり判決する。
(裁判長裁判官筧康生 裁判官深見敏正 裁判官内堀宏達)
別紙物件目録、図面(一)(二)[日影図]<省略>